日本での、葬儀の当たり前を書き出してみる。
・大層な祭壇
・故人や遺族の関わる会社などから届く花輪。
・遺影に向かってダラダラ唱えるお坊さん
・お焼香
・戒名
・香典、香典返し
これらは、故人のためにではなく、遺族が自分たちのためにやっていることだと思う。
世間に見栄を張るために開催するイベントの1つ。それが、「ご立派な葬儀」。
葬儀や法要には疑問がいっぱい。
よく考えたら、戒名って変。戒名にグレードがあり金額が異なるだなんて、なんじゃそら。戒名など全く要らん。
法要の数々にも疑問。49日とか、3回忌、7回忌、13回忌、、、などをやるのも、日本特有らしい。
そもそも、供養て何だろう?
お坊さんを呼んで供養とやらを何十年も遺族がし続けないと、先祖が祟ってヒドイことをする?自分の可愛い子孫に?
そんなわけあるかー。( ̄(工) ̄)
人は不安を抱くと、お財布の紐がズルズルにゆるくなる。
「その子が元氣にスクスク育つことを願って、◯◯はしっかりやった方がイイ。」
「その人が成仏して苦しみから解放されるよう、◯◯はしっかりやった方がいい。」
というタイプの洗脳は根深く、広く浸透されている。
お宮参り、お食い初め、七五三、初詣、交通祈願、合格祈願、縁結び、厄払い、安産祈願、葬儀、法要など、
「生死」に関するビジネスは儲かる。生きる世界に不安を感じ、健康に不安を抱く人ほど、これらのイベントをちゃんとやる。
母が亡くなった時は、とてもシンプルな家族葬を行った。小さな葬儀場で、近い親族だけで「お別れ会」スタイル。お坊さんナシ。お経ナシ。喪主挨拶ナシ。戒名ナシ。
だからと言って、自分の葬儀のシンプルさに亡き母が怒り、枕元に鬼の形相で現れたとか、そんなことは一度も無い(笑)
葬儀に限らず、「昔からそうしてきたからなんとなく続けている」ということって、結構あると思う。
そういった昔からの習慣に、「そもそもこれは、なぜやるんだろう?」という疑問を持ったら調べてみると、
「なーんだ、こんなのやる必要ないや。」と思える省いて良いことが、たくさんあるかもね。
サミー