抗がん剤曝露の危険性と日本の現状
というタイトルのこちら↑のサイトより一部抜粋し、医療用語を噛み砕いて加筆。
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抗がん剤曝露の危険性と日本の現状
*曝露(ばくろ):細菌やウィルス、薬品などに、さらされること。
抗がん薬には、がん細胞を殺滅させる一方で、生物の遺伝情報(DNAや染色体)に、再び元に戻れない変化を引き起こす性質や、
発がん性、また、ある物質や生物の発生段階において奇形を生じさせる等の、有害な作用もあることが知られています。
その有害な作用は、治療を受ける患者だけでなく、取り扱う医療従事者にも健康影響を及ぼすことが懸念されています。
看護師は、防護策を講じて看護業務につく必要性があります。
曝露による健康影響は、抗がん薬の皮膚への付着や、空気中を浮遊する抗がん薬の粒子が、鼻や口から体内に侵入することによって発生すると考えられています。
急性中毒症状としては、皮膚に付着した場合の神経症状や、眼への飛びちりによる角膜炎、
抗がん薬を取り扱った手で喫煙や食事した場合の、消化器症状などが挙げられます。
そのほか、次世代の子孫に影響をお及ぼしかねない問題が潜んでいます。
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抗がん剤。こんな恐ろしいモノを、体内に入れて良いわけがない。
元看護師さんの話。
「患者さんに抗がん剤を投与する際、看護師は防護服を着て挑みます。それほどの劇薬を患者さんの身体に入れるのが辛すぎて、看護師をやめました。」
私が、「回復する」ということについて学ばせてもらった医師たちは皆、現代医療の在り方に疑問を抱いた人たち。
例えば癌で言うなら、
こんなにも患者さんの心身を苦しめる上に、治療を始めてから短期で亡くなることが多い抗がん剤治療は、治療と言えるのだろうか?
と、医学部で学んだことや現場で経験したことに疑問を抱き、より良い治療について考え、ヨーロッパの自然療法や東洋医学なども学び、
患者と向き合う時は、患部(カラダの一部)だけを見るのではなく、心も含めたカラダ全体を診(観)なければ、回復へ向かうことは難しいと分かり、
それ以降、真の回復へ導く医療を実践し続けている医師たち。そういった医師たちから学んだことを、私は参考にしている。
数年前までは、
「抗がん剤治療を行う医師が皆「悪」というわけじゃない。医学部でそのように習ってきたのだから、仕方がない。」
と思っていた。けれど、今は違う。
「抗がん剤を扱う際に看護師が防護服を着なければならないことや、抗がん剤で苦しむ患者を見て、何も、疑問が湧かないのだろうか。」
と、思うようになった。
「抗がん剤はとても強い薬で、投与された患者さんは辛そうだけど、それが抗がん剤だから仕方ないよね。」
と思っているならば、その医師の「心」は、異常をきたしているように思う。
知らないは罪。知ろうとしないはもっと罪。
癌は恐ろしい病気ではない。患者を苦しめ、死に至るほどガクンと弱らせるのは、癌ではなく、抗がん剤・放射線・手術の三大癌治療。
癌は、誰のカラダでも毎日、生まれては消えてを繰り返しているけれど、血液の質が低下しすぎると、生まれては消えてを繰り返していた癌は消えにくくなり、育ってしまう。
なぜなら、癌は血液の浄化装置だから。
血液の質が良くなれば、癌は消える。血液を浄化する役目を終えるから。
生活や食生活を見直すことで、血液の質は簡単に改善する。癌は自分で治せる。
より元氣な心身で、より人生を謳歌したいなら、テレビが発する健康情報を鵜呑みにせず、
テレビドラマが発する「癌の恐ろしさ」など鵜呑みにせず、自分で調べ、真実は自分で取りにいく必要がある。
治らない病気などない。生きていれば必ず治る。
生きている限り、希望はある。
While there is life there is hope.
サミー