マクロビやキネシにハマっていた頃、大変お世話になった陰陽五行論。
当時は、自分を含めたさまざまな人の気質が、この陰陽五行論の法則に当てはまり感動したけれど、
今思えば、「当てはめようとしていた」だけなのかもしれない。陰陽など、あるだろうか?と、最近思っている。
陽と陰
+と−
光と闇
善と悪
など、両極を表す言葉はたくさんあるけれど、本当は、両極など無いのかもしれない。
この数年、「光」と「闇」という言葉を多く目にするようになった。「あいつは光側だ・そいつは闇側だ」とかね。
けれど、私たちの本質は光であり、それは、光と闇という2極のうちの光ではなく、光と闇を丸ごと包む「絶対的な光」。つまり愛。
私たちの本質は「愛」であり、本音で在るがままに生きることで、「愛」でしかない本来の自分に、戻っていく。
両極が無い世界というのは、物事を「良いか悪いか」「正しいか正しくないか」と判断せず、他者の在り方を裁かない世界でもある。
これまで、隠れてやりたい放題やってきた者のことがどんどん明るみになっているけれど、
彼らのことは、裁くべき所が裁き、それぞれが、自身が行ったことの結果を受け取ることになる。
「あんなことをした奴は、◯◯な目に合えば良い。」などと、私たちが裁く必要はない。
という私は、現代医療の在り方について「こんなのアカン!」「こんなんじゃダメだ!」と、裁き倒してきたけれど。。。
( ̄(工) ̄)
「あなたは間違っている」と他者を心の中で裁いている時、自分は、今ここに居ない。自分が今ここに居ない時、私たちの波動は重い。
波動を上げてどんどん軽くなっている地球と同調できるよう、私たちも軽く在らねば、この世をより良くすることなどできない。
地球の波動と自分の波動が大きくズレれば心身は調和を崩す。心身が本当に元氣でなければ、地球に貢献するのは難しい。
地球を、他者を救いたいのなら尚更、他者に構っている場合ではない。
話は戻って、
陽と陰
+と−
光と闇
善と悪
といった「両極があるという前提」を用いたやり方は、さまざまな分野で、通用しなくなってきているのかも、しれない。
サミー