著書「お金のいらない国3」より、一部抜粋(一部、言葉を変更)。
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海の向こうから、とある国の、とある村へやってきたAさんは、漂ってくるイイ香りについて、現地人のBさんに尋ねた。
この匂いは何?
コーヒーだよ。豆を煮出して作るの。飲んでみる?
おいしい!こんな飲み物は初めて。
海の向こうにはないの?気に入ったのなら、好きなだけ持って行っていいよ。
いいの?
いいよ。自然の恵みは皆んなの物。

Aさんは喜んで、コーヒー豆の袋をかつぎ、自分の国へ帰っていった。そしてしばらくして、Aさんは再びBさんの元を訪ねた。
この間のコーヒーは大好評だったよ!
それは良かった。また好きなだけ持って行っていいよ。
今日はイイ話を持ってきた。コーヒー豆をたくさん欲しい。金を払うから。
カネ?(なにそれ?)私たちは、別にそんな物いらないけど。
金は便利だよ。金を持っていれば、これから海の向こうのたくさんの物と交換してあげる。だから、コーヒー豆を私に売って欲しい。
コーヒー豆は、どのくらい欲しいの?
たくさん欲しいんだ。今の畑から取れる分では足りない。トウモロコシ畑をコーヒー畑に変えればいいよ。
それはできない。トウモロコシは私たちの食べ物だよ。
たくさんコーヒー豆を作って売って金が手に入れば、海の向こうの美味しい食べ物がたくさん買えるよ。
そうか、じゃあ、やってみようかな。。。

トウモロコシ畑はコーヒー畑に変わり、村には、海の向こうからたくさん食料が入るようになり、人口が増え始めた。
海の向こうではコーヒーが大流行し、まだまだコーヒー豆は足りなかった。
森を切り開いてコーヒー畑にしてよ。
それはできない。掟に反する。たくさんの木を切ってはいけないんだ。たたりがある。
ははは!そんなくだらないこと信じてないで、たくさんコーヒー豆を作って金にした方がいいよ。私は、君たちのためを思って言っているんだよ。
たくさんの木が切られ、広大なコーヒー畑が出現した。地主と小作人が生まれ、たくさんの人々がコーヒー畑で働いた。
どんどん人口が増え、どんどんコーヒー畑が作られる代わりに、森林がどんどん減っていった。
しばらくすると、コーヒー豆の質が落ちてきた。同じ土地で同じ作物を作り続けたために、土が痩せてしまったから。
この肥料を使うといいよ。
海の向こうの化学肥料が使われ、それによって自然のバランスが崩れ、害虫が発生した。
この農薬を使うといいよ。
農薬が使われたことにより、自然のバランスがさらに崩れ、次々と害虫や病気が異常発生した。さまざまな農薬を使えば使うほど、より強い害虫や病気が生まれ、キリが無かった。
現地の人が、そのイタチごっこに苦しむ一方で、海の向こうのコーヒー人気は、どんどん高まっていった。
今度は、コーヒー畑でこの機械を使うといいよ。
生産性を上げるために機械が導入され、コーヒー畑で働いていたたくさんの人が仕事を失った。
すでに、お金がないと食べていけない社会になっていて、大勢の人が飢えに苦しみ始めた。
まもなく、農薬、化学肥料を使った不自然な農法には限界が訪れた。コーヒー農業は破綻し、仕事は無くなった。残ったのは、農薬や機械を買わされた膨大な借金だけ。
食べ物もなく、作物もできないその国には、大量の難民が残され、餓死者が続出した。
そして、ついに紛争が起きた。

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書き起こし終わり。
「その食品(又は飲料)は、どのように作られている?」と、食品の背景を知ろうとし、製造過程や運搬の際に、薬品を使われていない食品をなるべく選ぶ。
という人がうんと増えれば、環境や身体に優しいモノ作りをしている商売しか、生き残れなくなる。
そして、冷酷な社会の仕組みは成り立たなくなり、新たな温かい仕組みだけが機能するようになる。
新たなというか、大昔はそうだったんだけどね。カネカネしていなくて、無理も焦りも、過剰も枯渇もなく、ちゃんとイイ具合に循環する仕組み。
自分がその食品を選ぶことが、遠い国の人の飢餓に結びついているとか、紛争が起こることに加担しているとか、
薬品を多く使った食品作りに加担、つまり、環境の悪化や病人の増加に加担しているだなんて、思いもよらないよね。私もそうだった。
質の良い(薬品不使用の)食材や食品を、なるべく選ぶ。
それは、自分の命を輝かせるだけでなく、見ず知らずの他者の命を救ったり、地球全体の環境改善へと繋がる、優しい行為。
サミー