セラピスト、カウンセラー、ヒーラーなど、何らかの療法家の所には、「自分ではどうにもできない生きづらさを、誰かに助けてほしい。」という人がやって来る。
そのため、セラピー、カウンセリング、ヒーリングを受けようとする多くの人に依存傾向があるのは、当然と言える。
療法家が、自身のホームページに「依存傾向にある方はご遠慮ください」という一文を載せるぐらいなら、療法家として仕事をしない方が良いのかもしれない。
「依存傾向にある方はご遠慮ください」の一文は、心が深く傷ついている人が真に回復するチャンスを、奪ってしまうように思う。
そう思うようになったのは、この本に出会ったから。
【身体はトラウマを記録する】
この分厚い本が言っていることのほんの少しを、私の理解力の範囲でまとめると、
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私たちの脳は、幼少期の体験によって形づくられる。
脳の回路がグングン発達する幼少期に、虐待や放ったらかしによる心理的ショック(トラウマ)を受け続けると、脳回路にダメージを受けてしまう。
トラウマには、猛烈な悲しさ、猛烈な寂しさ、猛烈な恐れなどがある。
幼少期、安全で愛されていると感じられる暮らしを送っていると、脳は探検や遊び、協力が得意になり、イキイキと生きるために大事な脳回路がグングン発達する。
逆に、
幼少期、おびえることの多い暮らしを送っていると、自分を守ることを優先に脳が使われてしまい、
興味が湧いたことにチャレンジするなど、イキイキと生きるために大事な脳回路の発達は乏しくなる。
子どもの頃に家庭で安心感を得られなかった人は、成長しても感情を調節するのに苦労する。
集中するのに苦労し、絶えず緊張していて、自己嫌悪の念に満ちていて、親密な人間関係を築いて維持するのが非常に苦手。
彼らは、頻繁に無視されたり放ったらかしにされたりしたため、依存心が強く、愛情に飢えている。
人が、反抗的だったり、自己防衛が過剰だったり、感情に乏しい状態だったり、激怒している時、
そのような「行動」は、身近な大人(主に親)から脅かされる環境を生き延びるために確立された、行動パターンの再現かもしれないと気づくことが重要。
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ということが書いてあった。
・感情の起伏が激しい
・人と関わるのが苦手
・発展的な考えをしずらい
・会話の解釈力に乏しい
・物事の理解力に乏しい
・感情に乏しい(冷めている・笑えない)
・攻撃的・批判的
などといった「困った性格」として片付けられがちな要素は、幼少期の体験によって身を守るために発達した防衛反応であり、
その人が、その生きづらい性格になったのは、仕方がないことだった。
そう知ると、考えさせられる。これまでの人生で出会った「私にとって困った人」のことが数人、頭に浮かんだ。
友人やプロなどを頼った人が、アドバイスを受けてもそれを実践せず、再び他者に頼って依存してしまうのは、「怠けているのではなく動けなかった」ということ。
安全や安心、愛をたっぷり感じて育った人にたやすくできることが、幼少期にトラウマを負った人には難しい。
好奇心よりも恐怖心が勝ってしまい、「きっとできる」という希望より、「できるわけがない」という不安に包まれてしまうから。
外は安全だと知る人と、外は危険だと思っている人とでは、家から一歩踏み出す時の心持ちが、まるで異なる。
幼少期に、猛烈な寂しさや恐ろしさといったトラウマを負った人は、脳回路のダメージのせいで、外の世界から自分を防衛することが通常モードになってしまっている。
他者に対して、疑いの気持ちが常にあるから。
この世界に対して、恐れの気持ちが常にあるから。
・嫌われないように
・失敗しないように
・怒られないように
・叩かれないように
・侮辱されないように
・目立たないように
という思考により、自分を守るため、幼少期から心や体にギュッと力を入れて生きていると、それはやがて性格となり、その性格が、本人を生きづらくさせる。
でも、大丈夫。ダメージを受けた脳回路は、いつからでも修復できる。それを知ったなら、もうすでに修復は始まっている。
そして、クライアント自身が自分を受け入れ、自分を好きになり、暮らす世界に安心・安全・希望を感じられるよう導くのが、本来の、療法家の仕事であるように思う。
決して、「先生だけが私を治してくれた。先生は救世主。」などと思わせてはならない。
あくまで療法家は松葉杖の役割であり、回復をサポートするだけ。
「私が私の可能性に氣づいたことで、私のカラダは素晴らしい力を発揮し、回復することができた。」
と、クライアント自身が腑に落ちる方向へ導けたのなら、そのクライアントに関わった療法家は、療法家として本物だと思う。
「面倒なことになりたくない」という恐れから、「依存傾向にある方はお断りします」という一文を置き、真に救いを求める人を突き放すぐらいなら、療法家には、向いていないのかもしれない。
サミー