我が子を自立した人間に育て、子育てが済んだ後、親は亡くなるその日まで元氣に生き切る。それが、親の在るべく姿だと思う。
「大人になったら、いっぱい稼いで養ってね♪」とか、「老後の面倒見てね♪」と、冗談混じりで幼い我が子に言う親が居るけれど、あれは、共依存の関係へと導くタチの悪い呪文。
親自身が、どんなに年齢を重ねても心身に問題を抱えることなく暮らし、
巣立った我が子に「寂しくないかな?」「ちゃんとしたもの食べてるかな?」「身体の調子はどうかな?」という心配をさせないほど元氣に生きるのが、親の在るべく姿ではないだろうか。
子は親に依存せず、親は子に依存せず。
高齢になって、介護が必要なほどカラダが弱った人は、60歳や70歳になった途端に突然、そうなったわけではない。
今のカラダの状態は、これまでの暮らし(食習慣や生活習慣など)の積み重ね。
どこの臓器だろうと、脳だろうと足腰だろうと、そこが弱ったのは、これまでの暮らし方に原因がある。
毎日のように、粗悪な食品を食べたり飲み続けた結果としてカラダが弱り、介護が必要となったのならば、それは、自分の命だけでなく家族の命(時間)までも粗末に扱っているということ。
自分のカラダを雑に扱ってきた結果として、後々、配偶者や我が子が何かを楽しむことに使えるはずの時間を、介護という形で奪うというのは、あまりにも酷い。無責任が過ぎる。
私がカラダについて学ばせてもらった医師たちは、万人に優しいわけではない。
例えば、癌を患った中年の人が初診でやってきた場合、時間をかけて、ひと通りその人のカラダを診た後、
医師:これまで、けっこう好き放題に食べてきた感じですか? 健康を気にするより好きなように食べて死んだ方が幸せだー。みたいな。
患者:あはは!まさにそうです(笑)
医師:で、癌になってみたら、まだまだ生きたいので治してほしいと。それ、虫が良すぎませんか?
患者:そう、、ですね。。。(汗)
今、花粉症や喘息、皮膚疾患、痛風などで、日常的になんらかの薬を使用し続けている人は、高齢になった時に要介護者となる予備軍。
薬は、もっとも血液の質を低下させる物質だから、薬に頼った生活を続けていると、ジワジワとあちこち弱る。
自分が高齢者となった時、大切な人の時間(命)をムダに奪うことにならぬよう、今からできることがある。
その一歩は、まず、食習慣を見直すことから。
そして、薬を必要としない、真に元氣なカラダとなることを目指す。
いくつになっても元氣で在るというのは、自分や家族の命を、大切に扱っているということ。
自分が高齢になった時、「私は元氣によろしくやってるから、私のことは何も心配せず、あなたはあなたの人生を楽しみなさい。」と我が子に言える親は、世の中にどれぐらい居るだろう?
サミー