前回の記事「無輸血?」のつづき。
輸血には副作用が伴う。発熱や蕁麻疹といった軽度のものから命に関わるものまで、その程度はさまざまだけれど、
輸血による副作用が起こる大きな原因は、血液提供者の細胞が、患者の身体を「他人」だと認識して攻撃してしまうこと(合併症)。
これは、医学的に見た危険性。それ以外に生物学者の千島喜久男氏は、
「どのように生きてきたか分からない他者の血液を自分の身体へ入れることは、とても危険。」だとも述べていて、これにも私は完全同意。
血液提供者の血液は、献血の際は「健康な血液」だと判断されたかもしれない。
けれど、
その血液提供者がもしも、気性の荒い人だったら? 残酷な気質の人だったら?
その血液提供者がもしも、粗悪な食品ばかりを食べ続けている人だったら?
そう考えると、なかなか怖いものがある。
自分と、気質や食習慣がまるで異なる他者の血液を自分の体内へ入れたら、その後、心身が辛くなるのは当然ではないだろうか。
世の中には、輸血を受けたことで一命を取り留め、その後みるみる回復し、元氣に暮らす人もいる。
その人は、血液提供者が、食習慣や生活習慣などにより非常に元氣で、朗らかで優しい性格で、物質面・非物質面ともに、とても血液の質が良かったため、ラッキーだったのかもしれない。
血液は、深い。
輸血に限らず、血の滴る牛肉を食べるだとか、スッポンなど動物の生き血を飲むだとか、そうゆうことも含めて、自分以外の血液は、自分の体内に入れない方がいい。
そう思えてならない。
次回、「母乳の原料は血液。」につづく。
サミー