服や靴は、満遍なく使っている物だけ自宅に在るのが理想だと思っている。服に限らず、何年も使っていない物が自宅に在るという状態がイヤ。
ソレを処分するかどうかを決める際、私が基準としているのは自分の感情。
ソレを見て、ネガティブな感情が湧き上がる物は捨てるべしと思っている。
私は、数年前に入院した。退院した数日後、服を親族からプレゼントされた。
退院時は冬だったので寒いのは当たり前なのだけど、退院後しばらくは、異常に寒かった。身体の芯から冷え切っている感じ。
入院中に強い薬を点滴し続けていたから、その影響だろうと思う。
それが、服屋をやっている親族の耳に入ったからか、退院した数日後、ステキなカシミヤのセーターと、そのセーターに合うズボンとブーツを、突然プレゼントされた。
とっても嬉しかった。品質が良いというのもあるけれど、彼らの気持ちが、冷え切った私を骨の髄まで温めた。
頂いた服は、その年と翌年の冬に何度も着た。その後も捨てられず、クローゼットの中にずっと取ってあった。
でもある日、ふと気づいた。
あの時、この服をプレゼントされたのは、とても、とても嬉しかったけれど、この服を見るたびに、入院していたことを思い出す。
そう、この服を見るたびに、気持ちも身体も弱りきっていたあの時の自分が、思い出されてしまう。
本音にフタをし、精神的にも肉体的にも無理をした仕事の仕方を続けていたがゆえに強制終了(入院するハメ)となったことが、思い出されてしまう。
このことに気づいたので、あの時に頂いたステキな服は、手放した。感謝と共に。
・心のこもったプレゼント。
・頂いた時は、確かに癒されたプレゼント。
・高価なプレゼント(笑)。
こういった物はなかなか捨てにくいけれど、頂いたソレと関連している出来事は、自分がこれからも持ち続けていたい思い出だろうか?
ソレを頂いた当時の自分は、これからも在りたい自分だろうか? と考えると、ソレは自分にまだ必要か、もう不要かが分かり安いと思う。
今の自分と一致していない物や人と一緒に居続けるのは、自分の進歩を妨げる。
もうすぐ年末。今の自分と一致しなくなったモノ・ヒト・モノゴトから着々と卒業して、より軽やかな2024年へ。
さて、今から私は、くたびれたパンツを捨てます。感謝と共に(笑)
サミー
好きを生きると、世のためになる。 - Cue Spot 331