先日、ツインレイについての記事を書いた「魂の片割れ?」。そこから一部抜粋すると、
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「ツインレイ」とは魂の片割れを意味し、もともと1つであった魂が2つに分かれた、魂の結びつきが強い唯一無二の存在のことを指す。
互いの魂が成長した時に、出会うべくして出会う「運命の人」。
二人が出会うと、二人は協力し、世界がより良くなるような生き方をしていくことになる。
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とのことで、「私のツインレイはどこじゃー。」と、ツインレイと出会うことを心待ちにしている人や、
「今のパートナー、最初はツインレイだと思ったけど、ツインレイじゃないかも。。。」と悩む人が居るらしいけれど、
ツインレイって、とんでもなく氣が合う人のことだと思う。
カカカ、カミナリに打たれた〜。という意味でカミナリ画像。
「自分は、どうゆう人間であるか。」ということを秘めたままでは、本当に氣の合う友人やパートナーなどできるわけがないので、
日々、自分の想いや考えをちゃんと発し、やりたいことをやり、本音をなんらかの形で表現し続ける必要があるのだけど、
とんでもなく氣が合う人というのは、食に対する考え方が、とんでもなく近い人でもあると思う。
例えば、
・肉が大好き。
・昼食が済んで間もなくすると、「夜ご飯はどうする?」という感じで、いつも食事のことばかり考えている。
・お腹がすくと機嫌が悪い。
・その食品が作られる背景を知ろうとしない。
・その食品が作られる背景を知ったところで、別に何も感じない。
という人と、
・肉が苦手。見るのも嫌。
・何かに没頭していた場合、1食や2食抜いたって全然平気。
・お腹が空いてグルグル鳴るとウケるし、次の食が楽しみ。
・食品の背景を、なるべく知りたい。
・その食品の背景を知り、作られ方が嫌だと感じた物は、なるべく食べたくない。
という人(私)。
そんな、食に対する考えが真逆な二人が恋人関系や夫婦関係だった場合、悲劇でしかない。経験者は語る。
良い関係を保つためにと、どちらかが、どちらかに合わせるということ(我慢)を日常的にしていると、いずれ苦しくなり、良い関係ではなくなる。
では、食習慣を相手に合わせたり、合わせようとしたりせず、互いに好きにやれば良いのでは? というと、
そんなに食に関しての考え方が合わない人(氣が合わない人)と、パートナーであり続ける必要が、どこにあるだろうか。
私は肉が苦手なので、目の前で肉を調理されたり食べられるのが、しんどい。なぜ、そんなに死体が食べたいのだろう?
自由の無い不衛生な環境下で、粗悪なエサを与えられ続けるため、身体は弱くて皮膚病などの病気にかかりやすく、それを抑えるために抗生剤などの薬をバンバン与えられる。
そんな、心身共に病んでいる上に薬漬けの動物の死体を、なぜ、そんなに食べたいのだろう?
その食品が持っている病気や、その食品に含まれている薬品は、食べた者の脳や心身をもむしばむというのに。
付き合いが長い人であれ、新たに出会う人であれ、肉が大好きな人と良好な関係を築くことは、もう無理だと思う。以前はなんとか、できたけど。。。
食との関わり方は、その人の軸、つまり、その人が人生において何を大事にしているかが、分かりやすい。
食への考え方、感じ方がとても近い人とは、医療、生活、仕事、社会などへの考え方も近く、さまざまな話が合い、
そういった人がパートナーであると、一緒にいることで互いにエネルギーが漲り、これぞ最高の関係なのではと、思う。
その人が、自分と、とんでもなく氣が合う人かどうかは、食に対する考えが、自分と、とんでもなく近いかどうかで、分かるのかもね。
サミー
ケーキの裏側、パティシエの独りごと - Cue Spot 331